人生には、いくつかの岐路があって、今後の人生を左右する大きな決断をしなければならない瞬間が生まれます。
25年しか生きていない僕でさえも人生の岐路がいくつかありました。
そして、有難いことに、悩みに悩んだ末の選択に後悔したことは1度も有りませんでした。
選択肢自体にはさほど意味はなく、あるのは選択するまでに向き合った自分自身と選択した道を正解にする生き方なんじゃないかなと。
私たち日本人は、自分の願望や挑戦を断念するとき、「諦める」と言います。
ネガティブなニュアンスでよく使われるこの動詞ですが、本来の語源ではポジティブな意味を持つらしいです。
もともと仏教用語で使われる「諦(たい)」。これは”物事の真理”という意味。
そして、「諦める」とは「明らめる」。
今の自分の状況や実力を客観的に判断し、真理を明らかにする、という意味を含んでいるそう。
これを知ってから、諦めることはカッコ悪いことでも何でもないと思うようになりました。
なぜなら、諦めるためには、頑張ってきた過去と現在の状況と真摯に向き合って、自問自答して、悩み苦しむ過程が必ずあるものだから。
そして、今と向き合い 過去を乗り越え 諦めた先では、再び新たな道と向き合って、努力して、悩み苦しまなければならない。
そうして新たに何かを得ることができるかもしれないし、また諦めなければならないかもしれない。
だけど、そうやってでしか人は前に進めないものだと思います。
勝者で終わることができるのはほんの一握り。
僕が関わっていた高校野球では、全国4000校以上ある中の1校しか、勝ち続けることはできません。
勝ち続けることは尊い。だけどそれと同じくらい、諦めることができるのも尊いことだと思います。
「人生、諦めが肝心」
頑張ってきたこれまでの道のりはみんな見てきました。
そして、ここからはまた、たくさんの道が広がっています。
挑戦するも勇気、諦めるも勇気。
どうか良い選択ができますように。
そして、10年後振り返ったとき、この道を選んで正解だったなと思えますように。